パースペクティブがひろがる

【生活世界8】


以前、『「私憤」を「義憤」に転化する意味は?』という内容を書いたけど、そのあと、それに対して、いくつかブクマがついていた。


というか、こんなの読む人がやっぱりいて、そして興味を持つ人がいる、ということをすっかり忘れていた。


で、いくつかコメントがついていたので、適当にひろって、コメントしてみる(とはいえ、意味不明なコメは拾わない)。


>>馬鹿がこの手順の論法をやると、うざいことこの上ない。結局は自分の欲だろ?っていう。モンペの使う詭弁とか、嫌煙の問題、「読み逃げは失礼!」とか。


中島義道氏が、似たような問題意識を持っていた気がします。つまり、エゴイスティックな欲望をあたかも公的な正義に適っているかのような言い方をする偽善者を糾弾する、という。


「賢い人」は、「義憤として適切」かどうか見分けて、反論できるのでしょうけれど、相手がいきり立っていて、「さあ、今すぐ答えろ!」みたいな感じで迫ってきたら、頭の回転が速くないと難しいかもしれない。


公の論理になんでもかんでも屈するのは、日本人の尊厳値の低さが原因だ、というようなことを宮台真司氏が書いていた気がしますが。あとは、「空気」に従う文化とかが関係あるのかな?


>>"自分はmixiの日記上で、ある人物から言葉狩りにあったことがある。"(mixiなんかでかくからだろう


この方は、mixiが嫌いなんでしょうね笑 まあそれはともかく、確かに、それは一理あります。とはいえ、mixiだけの問題ではないでしょう。


2ちゃんであれ、はてブであれ、ネットという媒体そのものが、脊髄反射的な書き込みをしてしまう素地になっていることは否めません。技術の進化にあわせて、人間の思考回路も進化できたらいいのにねえ、などと皮肉なことを思ってしまいますが。


うーん・・・この「mixiなんかで書くから言葉狩りなんかにあうんだ」という書き込み自体が・・・笑 まあいいや。とっても面白いコメントでした笑


>>政治家とは私憤を義憤に転化できる生物である


そういうレトリックで当選しやすい人はいる気がします。昔は水のみ百姓だったみたいな。たとえば、前衆議院議員・杉浦太蔵氏とかは、元派遣社員だったから、「国民の不満を代表する政治家」ということで、選挙では勝ちやすかったところはあるかもしれない。


>>そうじゃないと他の人に話が通じないことが多いから、客観を使うというのはあるかな/ただ、見当外れの返事が来たら、それを誘発する書き方をしていないかと考える振り返りもあっていいと思うけど。


確かに、誘発要因については、考える必要はあります。しかし、自分の中では、「所有」というのが、急に暴力的な概念として立ち上がってくる、とはそのとき思わなかったので、そのまま書いてしまった。結果がろくでもないことになったわけですが。


とはいえ、「所有」と書いただけで、急に悪い意味にとった上で、人格攻撃してくるのは、まともなコミュニケーション能力をもった人間のやることではない、という認識が崩れるわけではありませんが。適切な質問する前に、攻撃することを許す人って、おおらかでいい人なんだろうなあ。


攻撃する前に、「所有」とはどういう意味で使っているのですか?という問いかけがあってしかるべきと考えます。そういう問いかけの習慣が日本人にはないのかもしれません。ディベート文化ないですからね。


と、こんなところか。


いろいろ意味不明なコメントがついたり、共感のコメントがついたり、つっこみのコメントがついたり、そのたびに自分の引き出しを開けて、思いつきを書くって作業もまた面白いです。


まあ、蛇足的な文章でした。