ライフワークバランス

【システム10】


浅野いにおの漫画を読んでいると、ついつい人生のことについて考えてしまう。最近読んだのは、「おやすみプンプン」。プンプンという少年(?)の成長を描いたマンガ。


二個前の記事で、「快に満ちた文明」で書いたけれど、創作品に、快楽消費的な生き方を見直すような生き方のヒントを与えるようなファクターを組み込むというありかたが、浅野いにおの作品には見られる気がする、というほど多くは読んではないけど。


でも、仕事で忙しかったりする人もたくさんいるわけで、そんな人は、「こんな生き方でいいのだろうか」とふと疑問を覚えたり覚えなかったりで、「とりあえずは、目先のことをやり遂げないと」と言って仕事に励み、その代わりに、思考停止しちゃうパターンなのだろうと思います。


そんな状態に抗するための考え方が「ライフワークバランス」ってやつで、今日はそれについて、考えてみます。


「ライフワークバランスが崩れる」という場合には、たいてい就労時間が長くなって、私的な時間があまり取れない状態を指していると思います―――ニートの人が、「仕事をしていないので、ワークライフバランスが崩れている」とは言うとは考えにくい。


就労時間は、「パブリックな時間」であり、それ以外の時間は、「プライベートな時間」です。この言い方で言うと、「ワークライフバランスが崩れる」とは、「プライベートな時間」に「パブリックな時間」が侵食している、ということになります。


とりあえず、ここで、「公私二分」について、整理していきます。


☆<public><private>と「公私」の意味のズレ


そもそも、英語と日本語の「公私」のオリジナルの意味は、それぞれずれているらしい。


日本におけるもともとの「公私」は、共同体の大小・上下関係に応じて、つけられる。


<public><private>においては、公権力や公衆などのパブリックなものと、プライベートな領域を分ける権利と意味が結びついている―――日本的な意味での「公私」は、「おおやけ」が「わたくし」に介入することがある。


英語の意味での「公私」が空間的に根付くことになったのは、交通手段の高度化があるようだ―――以前、スカイプでチャットした大学生が、「空間社会学」をベースに論文を書いているといい、その内容が、上記に述べたことだ。つまり、自宅と仕事場の分離。


つまり、抽象的な権利や、上下関係、共同体の規模に還元できる「公私領域」と空間的な「公私領域」がある、ということだ。


ワークライフバランスが崩れる、ということは、「公」が「私」に侵食すること、と述べた。言い換えれば、「公」が「自分」を拘束して、「私」に戻れる時間を減らしてしまう、ということだ。詳論は、「働きすぎの時代(森岡孝二著)」。


英語の意味での峻別される「公私」が日本的な意味での境界のハッキリしない「公私」にシフトしてきていることが、「ワークライフバランスの崩れ」ではないだろうか、っていうこと。つまり、峻別されるべき「公私」が、境界線のあいまいな「公私」関係になってきている、ということ。


だからこそ、英語的な意味での「公私」の理念を守らなくてはいけない、というのが、労働権を守るっていう意識なのだと思います。具体的・個別的な話に関しては、さんざ本などが出ているはず。


別に、ただの言葉遊びみたいなもので、たいしたことは言っていないけれど、「公私」という概念の整理と「ワーク・ライフ・バランス」の関係について、書いてみた。