最高裁判官への国民審査を掘り下げてみる

【システム2】


で、今日は総選挙の最終日だったわけですが。


それと平行して、最高裁判所裁判官の国民審査があったと。


それに関して、以前、社会学者で、大学教授の宮台真司氏のブログにて、問題点が列挙されていたので、その要約がひとつ。


それを通じて、イラクに対する自衛隊派遣の責任者であった竹内行夫氏についての「バッテン運動」について、考えてみます。


1.(宮台氏による)国民審査の問題点の箇条書き


a.審査の判断材料とすべき主要裁判に、多くの裁判官が関わっていない→適切な人材か、判断しようがない。


b.裁判官の補佐役である調査官が、実質上判断を機械的に下している可能性がある→裁判官の建前化


c.(自民党政権下では)最高裁判官は、最高裁事務総局というところで、司法官僚によって決められ、それを内閣が追認するという形だった→制度の建前化


aについて。


過去4年間の主要な裁判に関わった裁判官の大半は、今回の国民審査の対象にはなっていない。


http://www.courts.go.jp/saikosai/about/saibankan/index.html


ここのURLで確認できるけど、確かに4年以上関わった人は少ない。しかも、まったくズブの素人からはじめる人もいるようで。


これは、bとも関連してくるのだろうけど、調査官が膨大な資料を読んで、争点を示し、過去の判例を提示して、「さあ、どうする?」とやるわけで、どこまで裁判官の主体性があるのか?という問題がある。


bについては、裁判官を増やして、対処する必要があると思われ。


cについては、内閣が追認するだけじゃなくて、内閣なりの判断基準を作成した上で、「われわれは、こういう基準にて、彼らを任命した」と説明責任を示せる状態にすることが大事ではないか、と思う。それが、最小限の道徳かと。


少なくとも、国民審査を実質化するためには、10年に一回とか大きなスパンではなくて、衆議院と同じく4年に一回国民審査を行う、そのための主要裁判の結果をわかりやすく、マニフェストのような形でまとめるなどの工夫が必要ではないかな、とか思ったりもします。


そうでないと、(自分も含めた)普通の人には、何を基準に彼らに「×」をつけたらいいのか、分からないからだ。そのためには、メディアがこうした論点整理に積極的になっていく必要性を感じたりします。


最高裁判所の裁判官の任命は、かなり民意の遠いところにあるので、それを近づけることで、より裁判の適正化をはかり、より公正に権利を平等化するのが、司法としての「善」ではないでしょうかね。


なんて、えらそうなことを考えてみましたが。そうした手続きがないと、現行のあり方では、どんなに騒いだところで、意味がない気がしてしょうがありません。


で、二点目。具体的な問題として、考えたいのが、竹内行夫氏の「バッテン運動」。


http://liveinpeace.jp/kokuminshinsa.html#leaf


イラクへの自衛隊派遣が、違憲にあたるということで、法の精神にそぐわないことをする竹内氏などを最高裁判官として認めるわけにはいかない、という主張を元にこの運動は成立しているわけですが。


上で整理してみたものと関連して考えてみると、bでは、結局、調査官が裁判の結果に大きな影響を与えるとしたら、「誰」が裁判官になるか、などという問題は、形骸的なものへ拘泥しているだけに過ぎないのではないか、とさえ思う。


とはいえ、権力に民意を反映させたいと思い、行動に移すのが、近代市民社会における市民の“自然な”思考だと思うので、そうした「バッテン運動」を否定はしません。ただ、今まで最高裁判所の裁判官が、国民審査によって、罷免されたという事実はないわけですが。


で、ここでの「民意」というものをちょっと掘り下げると、憲法9条をどう解釈するのか、9条というのをいじるべきか・いじらないべきか?という話まで来てしまうので、今日は無理をしません。


ただ、竹内氏批判の人たちは、「憲法9条」を堅固すべきで、それに反することは重大な問題である、と捉えているということですな。


自分としては、「いつでも攻撃できる」という牽制的な意味での武力を強化すべきだとは思うけれど、自衛隊を外国にまで派遣する、というところまでは行かなくてもよかったと思う。


構造的な問題としては、「いつでも攻撃できる」という重武装がないから、アメリカに従属せざるを得なくて、アメリカの言うことを聞いて、自衛隊を派遣してしまったというねじれ構造があるんだと思います―――自分の文脈では、重武装の中には、核兵器を入れていません。国際情勢的にも、内政的にも、不可能に近いだろうから。


そんなわけで、今日のまとめ


1.最高裁判所裁判官の国民審査を実質化するためには、「民意を反映させやすくするための仕組みをつくりたい」という世論の高まりをメディアが煽る必要性がある


2.「バッテン運動」は、心情的には理解できるけれど、1を推進しない限り、実質的な意味はさほどない。



というわけで、そろそろ寝ます