良い人間関係のきっかけは?

【生活世界4】


松本人志の二元論好きか、嫌いか」という本を以前、借りて読んだ。


なんか詳しいことは覚えてないけど、対象のネタに対して、タイトルどおり、好きか嫌いかの理由付けとかをしていく内容。


ネットで調べたら、回転すしとか、チャイナドレス、六甲おろし、三十路女性、万引き、まつたけ、プラズマTVとか、いろんなものについて書いたらしい。読んだんだけど、ほぼ覚えてない。でも、面白かったという感覚だけは残っている。


それは、松本人志という芸人の言うことが好きなせいもあるけれど、もうひとつ、本来、理屈など付けようのない「好き嫌い」について、ちょっと掘り下げてみるっていう企画そのものがシンプルながらおもしろい。


この本で唯一覚えているのが、あとがきで「好きか嫌いか説明できるということは、この時代に必要なことではないだろうか」というようなことを書いていたこと。


この文章がなぜか心のなかでひっかかって、自分なりにどういうことか考えてみた。


「この時代」とはどういう時代か。経済的に豊かな社会の時代だ(日本にとって)。ということは、万人の合意の可能性が高い「モノ」の豊かさがかなりのレベルで実現していると言い換えられる。


しかし、「何を持って、心が豊かだといえるのか」については、合意できない人がたくさんいることにだんだん気づいていく。「心の時代」といわれるゆえんです。何があれば幸せかは分からない。何を求めたらいいかということについて、みんなが合意できないということだ。


ということで、より「自分」と「他人」の好き嫌いが意識されてくる時代なのだと思う。


そこで、「説明できる」ということは、人間関係を構築したり、円滑にするのに役立つと思う。理由に共感できなくても「こいつとは好き嫌いが合わないけど、こいつはこいつなりの選好基準があるんだな」ということが分かれば、変に対立しない。


好きだったり嫌いだったりする理由で共感できれば、「この人のいうことは自分にはよく分かる」となり、関係が深まるきっかけになる。


もちろん、「なぜ好きか・嫌いか」は、本人が把握しているようで、実は本人にも分からなかったりする。だから、自分なりにもっともらしく理由付けしたりする。脳科学では、「作話」という。でも、作り話でも構わない。


少なくとも「なんとなく好き」とか「なんとなく嫌い」といわれるよりは、「○○という思い出があって〜」とか「あのでっぱりが〜」とか具体的な説明がついていたほうが、心にしっくりくる。話が広げやすいので、それもまた良好な人間関係に一役買う。


もっとも、好き嫌いの「理由付け」も論文と違うのだから、質的にも量的にも「おしゃべり」レベルで済ませられるレベルで留めておくのは当然だけど。


「好き嫌いを説明できる」というのは、人間関係を増やすための「フック」だけれど、ここまででは「安心(おかしなことは何も起こらない)」レベルの関係性しか築けないと思う、まだ。


それより一段上の信頼関係なんて、どうやったら築けるのか説ける立場にないけれど、ひとつのキーワードになるのが、「秘密」だと思う。


「秘密」を打ち明けあい、それをお互いが他言しないこと、それはひとつ強い関係性をつくるのに役立つと思う。諸刃の剣だということは分かっているけれど、そういう思い切った契機がないと、関係は前に進まない、というのが自分の実感だ。


人間関係のフラット化(タコ足化)が進んでいるというけれど、経済的に不安定になったときに強固な人間関係がないと、追い詰められて、何をしでかすか分からない。秋葉原の殺傷事件のように。


経済的なリソースも大事だけど、人間関係のリソースも大事だって結論。そんな自分のケータイのメモリー件数は・・・あわわわ。