正しい男女関係?/感染したいモデル

【生活世界2】


19日、20日は東京に足を運んでいた。

はじめは体験をダラダラと書くけれど、「ロールモデル」という考え方と「男女関係のありよう」を軸にして書くことにしよう。


1日目は彼女と会い、その後、夜にSkypeでずっと話していた人と初対面として会った。で、その人の家に泊めてもらった。


1日目・・・品川駅にて彼女と合流。こちらの髪型が変わったことに「見慣れない」といわれた。


近くのカフェで話す。ノイズが多くて、お互いの声が聴き取りづらい。誕生日プレゼントとしてネックレスと小さな時計をもらった。「ありがとうございます」と遠慮がちによそよそしくお礼を言った。


以前、電話で彼女にソフトな説教らしきことを聞かされ、「その続きがしたい」というので、自分は露骨にいやな顔をした(+彼女の知り合いが自分に会ってみたいらしいことを聞いた。あと映画の話をした)。


品川の水族館に移動。途中で昼食 そば


しながわ水族館では種々の魚を鑑賞。小さな頃から海洋生物は好きなので、水族館も好きなのだ。数枚写メを撮る。出てから、ハンディタイプの海洋生物図鑑を買った。1050円で、ほぼカラーページ。空想のネタができてよかった。


その後、しばらく待ってから、無料バスに乗り、大森駅に到着。駅ビル内を散策。そこで、彼女へのお返しとして買うという名目で、アイピローを買って包装してもらい、彼女に渡す。それは彼女が選んだものだ。


その後、品川駅へ行く。夕食までは、まだ時間がある。近くの公園の適当な椅子に二人で座る。彼女の不満話・説教が徐々に始まっていった。空気が緊迫していく。思いつめたような顔をしていた。


自分は蚊に刺されたことをネタに空気を和らげようとしたが、配慮は意味がなかった。「恋人ごっこ」のメッキが剥がれそうになることに恐れた。


彼女の喋る内容は、抽象的で的を得ないボヤーっとした話だったので、「それは具体的にどういうこと?」と要約させる。基本的に主体性のない人間だと自覚しているけれど、そういう「対話」のための主体性だけは身につけようとしているので、相手の話が分かるようになるまで「質問」は必ずやる。


自分がまとめようとすると、いつものとおり、「いや、そうじゃなくて」といって、またぼんやりとした話を始めるので、埒があかない。


「女の話は、まとめようとせずにただ聴くだけでいい」という知恵は知っているけれど、ただの愚痴というよりは、こちらに対する言動の改善要求なので、要約せざるを得ない。断片的な彼女の話を論理的につなげると以下のようになった。


 1.「私に対して、気遣いがない」→「全般的に人間関係において気遣いがないのではないか?」→「人間関係の経験が足りないのではないか?」→「リアルの人間関係をもっと持って、勉強したほうがいい」。


 2.「人生に対して、受身だ」→「もっと目標を決めて、実体験を積んでほしい」。


1と2を勘案すると、「目標を決めて、実体験を積み、人間関係を上手く処理できる能力を身につけてほしい」、ひいては「目標を達成しようとがんばりながら、「私」に気遣ってくれる“やさしい”彼氏と付き合いたい」という願望、要求だ。ごく自然な感情だと思う。


男女が異性に感じる「魅力」を調査したいくつかの研究結果がある。結果に共通しているのは、男は女性に「容姿端麗さ・セクシーさ」を求め、女は男性に「野心・高い社会的立場」を求めることが分かっている。この結果は、書き手の主観じゃなくて、そういう研究結果がある、ということなので、念のため。野心を持って、目標に向かって、がんばる男を女は評価するようだ、ということ。


加えて、女は「うわっつらのやさしさ」に弱い、ということ。モテ講座?か何かで講師がそう喋っていた(そういう動画を見たことがある。参加したわけではない)。逆に言うと、「はっきりと目に見えるやさしさ」だ。車道側を歩かせないとか、重い荷物を運ぶのを手伝うとか、トイレに行っている間に会計を済ませておくとかいう類の“やさしさ”だ。


そういう(一般的)知識を知っていたので、「ああ、女性としてまっとうな願望だな」と思った。「ごっこ」の意識を持っているとはいえ、一応、説明責任はあると思ったので、次のように答えた。


1について 「いちおう恋人という関係性ではあるけれど、(その関係性に)気持がついていかない。そんな微妙な関係性だから、冷たくしてしまう」。


そんな状態なら別れたほうがいいという声が自分の内面から聞こえてくる。なぜこの彼女と付き合っているのか?自分の中では、東京へいって、都会の空気に触れるいい機会をつくる存在だから、付き合っている、というかなりドライな理由付けがある。そんな心の声が察してか、「このままだと、ただ私が東京を案内しているみたいになってしまう」と彼女は言っていた。


「気持ちがほしい」ということなのだろうけれど、ないものを与えることはできない。それでも、この回答に彼女は納得したようだった。こういう内面的なことを自分は一切普段話さないので、そういう“本音”を打ち明けさせただけでもよし、と思ったのかもしれない。


ありがちな詮索としては、「セックスができるからではないか?」というのがあるが、一年以上付き合っている今、性行為は一度もないし、それでいいと思っている。それだと(身体的)リスクを負わせた上で、本当に「利用しているだけ」になってしまうからだ。


「どちらにしろ、利用していることには違いない」という反論もありそうだ。自分は東京をいろいろ合理的に(ナビつきで)回りたい、彼女は自分と付き合っていたい。


普通は相思相愛でまともな需給関係が成立する、という共通了解がある気がするが、ギブする内容とテイクする内容が違っていても、一応、いびつな形でも需給関係は成り立つのではないか?と思っている。そして、それはそれでいいだろう、とも。かなり日和った結論だけど。


実際に、彼女と自分はケンカをしたことは一度もない。特に腹立たしいことはないからだ。両方とも、気性が激しくないせいもあるのだろう―――「正しい恋愛」なるものがあると確信している人にとっては、腹立たしい結論かもしれないが、「正しい恋愛のあり方」などをこちらに説教しない限りで、どうでもいい。


もし本当に説教されても、リアルだったら「ああ、そうですか」と適当にうなずいておくだけだろうし、ネットだったら、恋愛と宗教的信念の関係性について、脳科学的に分析するネタにしてもいい。


ここまで仮に読んだ奇特な方によっては、「この書き手は人格に問題がある」と判断されるかもしれない。そう思ってもらっても構わないが、自分なりに自己分析してみる。


イギリスの反精神医学者レインによると、分裂病気質の人間は、「愛されること」「理解される」ことを渇望するが、その願望が現実化しそうになると、「相手に呑み込まれる」恐れから、その関係性を絶ってしまい、「愛し愛される関係」「理解し理解される関係性」を拒絶する、という心的機構がある、らしい。


自分もそうなのかなって気がしなくもない。人のベタベタした恋愛もなんだか気持ち悪いし、自分においても、そういう関係性にはならない気がする―――もっともこれは個人的な感性なので、他人がベタベタした恋愛をしていようと一向に全然構わないけれど。こういう心的機構が不幸の元であると見做すかどうかは、人しだいだけれど、自分は感知しない。


2について 「内定をもらって、どんな生活にしようかは今考えている途中」。


「まあ、そんなところかな。じゃあ、飯を食いに行きますか」


彼女は、やっかみからそのような指摘をしたのかもしれない、と漏らした。とはいえ、大事な(女性的)指摘だと思う―――男から見ても、こんな奴嫌だと思われるかもしれないけど。「(社会的な)自己成長」のきっかけを与えてくれるという意味で、大事な指摘だと思う。もっとも、「指摘」だけでは成長できないことくらいは分かっているけれど。


適当に居酒屋で夕食を済ませ、渋谷駅で彼女と別れる。その後、スカイプで話していた人と用賀駅で合流。十数分歩いて、その人の自宅へ(途中で、酒を買い込む)。


そこでいろいろ話す。彼は彼女にこちらの容姿などについての報告をしていた。あちらが思っていたの(「ちっこいおっさんみたいなの」が来ると思っていたらしい)とかなり違ったらしく、こちらの写メを彼女に送っていた。


そこでふたりで酔っ払って、自分はスカイプで別の人と喋り、彼は彼女にケータイで延々と「自分はダメ人間だ」などと愚痴っていた。彼は酒が入ると、愚痴っぽくなる、と事前申告していたので、さもありなん。で、しばらくしてから、明日の計画を立ててから寝る。


次の朝、朝食をごちそうになった。おにぎりとチキンナゲット、ウインナー、キャベツの千切り、味噌汁。すべておいしかった。久々にまともな家庭的料理を食べたなあ、と母親には申し訳ないが、思ってしまった。


その後、ふたりで出発。以下、簡略化したチャート。


2日目・・・下北沢(美人多いな。Tシャツ二枚購入。人は多いが、ゆったりしている空気がいい)

→新宿(延々と歌舞伎町を歩く。ドンキでキャップ帽を購入。マクドナルドで昼食)

→渋谷(延々と歩きまくる。パルコ、ブックオフ、薬局、本屋などに寄る。夕食 琉球料理店 ちゅらりにて、いろいろ食べる)

→解散。


ブックオフにて、ジュディマリのカバーアルバム買いたかったが、金の都合で止める。その代わりにタイムリーな本を見つけた。


「もう“大丈夫なふり”をしなくていい!必ずなりたい自分になれる方法!!自分軸」


薄めの自己啓発書だが、今の自分には「何がしたいのか」という自己分析がいると思う。その一助になると思って、購入(自由価格本とあり、500円で買えた。価格競争ですかそうですか)


「本当に自分は何がやりたいのか」ということは、自己分析+試行錯誤でやるしかない。ロールモデルを用意して、それを参照してもいい。


齋藤孝氏の本で、偉人のいいところを「型」として抽出した本を買ったけれど、あんな感じで抽出作業を繰り返して、それを習慣化できるようになれれば、かなり「社会的自己」を質的に向上させられると思う。

以前につくった「感染ノート」というのがある。自分が「この人のスタイルはすごい」と思った人を書き出して、「何がすごい」のかの項目を抽出するためのノートだ(まだ一人も書いていない)。それを今度から徐々に書き出すことにしたい。